東北慰問演奏旅行
2014年3月8日(土)~9日(日) 東北慰問演奏旅行
昨年の演奏会で桜並木ネットワークへ寄付したことがご縁となって、宮城県南三陸町に慰問演奏旅行に出かけました。
行ってみなければわからない、行ってみて初めてわかることを実感した訪問でした。「外から被災地に来てもらわないと復興は進まない」と言われてます。私たちの訪問も少しは役にたったのでしょうか。
朝7時30分に千歳船橋を貸し切りバスで出発。ハーツ&ヴォイセスの女性も加わって総勢33名となりました。
ホテルのロビーでは、リハーサルが出来ないとのことで、バスの中で発声練習、リハーサルも行いました。南三陸町に着きますと、海岸線の大地には家がなく土台だけになり、造成地にきたような感じでした。津波でなにもかも流されてしまったことがTVの映像で見るのとはちがって実感として迫ってくるものがありました。防災対策庁舎の鉄骨だけになった建物を見てさらに胸に迫るものがありました。小学校、中学校の校舎は町長さんが頑張って高台に建てていたので助かったそうです。
ホテル観洋は2階まで津波がきたそうですが、高台にあったので、いち早く営業を開始して、被災者の受け入れなど災害復旧の方々の宿泊に使われたそうです。現在は被災地を訪れる方々の観光ホテルとして営業されています。
午後4時から1時間にわたって、ホテルロビーでコンサートを開きました。東京から世田谷ライオンズクラブの方々が大勢応援にきてくださり、聴いてくださいました。

津波で流されてしまった戸倉小学校の門脇校長もお出でになりました。学校は流されたけれど、日ごろの防災訓練のおかげもあって児童は助かったそうです。その時4年生だった児童の作った「小さいけれど大きな幸せ」という歌を山室先生が混声合唱にしてくださり披露いたしました。
志津川で被災された佐藤さんと言われるご婦人が感動したと言って翌日私たちの植樹をしている場所に差し入れを持ってきて下さいました。一人でも感動してくださった方がいたと思うと来て良かったと思った次第です。又、登米市南方仮設住宅第一期自治会の宮川会長がお出でになり、次回は仮設住宅に来て歌ってほしいと頼まれました。
コンサートはけやきの他にハーツ&ヴォイセスも加わり混声合唱も聴いてもらいました。最後に「花は咲く」を合唱したところロビーにいた観光客の方々も集まってきて一緒の大合唱になりました。
コンサートの後は温泉に入り、合唱団の懇親を深めました。藤原実行委員長の軽妙なお話やら、カンツオーネ、ドリームドックスのカルテットなどもあり楽しいひと時を過ごしました。
9日は防災対策庁舎の前で被災され亡くなられた方々のご冥福を祈りました。次にさんさん商店街に行き、仮設テントの中で男声合唱を披露しました。さんさん商店街にお出でになった観光客の方も足をとめて聴いてくださり、なかには一緒に口ずさむ方達もおられました。終わりにハーツ&ヴォイセスも加わり「花は咲く」を合唱したところ、ここでも買い物客も集まってきての合唱となりました。
私たちもお買いものが地域の方々の生活の後押しにもなるとの思いもあり、みなさんお土産を沢山購入されました。
さんさん商店街でのコンサートの後は志津川というところで、桜の植樹をいたしました。海岸に近い山の全部に桜を植えて欲しいと言われる方がいて、桜並木ネットワークでは3年がかりで、全山桜を植える計画だそうです。その第1号として山への進入路に10本の植樹をいたしました。すぐ近くに海があります。下の大地では線路も流され、駅舎もプアラットホームだけになった景色が広がっています。危険地帯としてここには家が建てられなくなったそうです。志津川の部落は全滅だったそうです。桜の山の公園を造ることで、後世の人達に今回の津波の災害を伝えていこうという思いの深さを知りました。

昼食には波伝谷にある「慶明丸」という食堂にまいりました。慶明丸という漁船の浮輪がカナダに流れついて、カナダの方が日本に送って下さった実物を見せてもらいました。女将の三浦さんから、津波の来た状況、孫が流されながらも助かったお話なども伺いました。その後お店を開くまでの苦労などいろいろなお話を伺うことが出来ました。お店で働いている方々も皆さん被災された方々で、住む家はなく仮設住宅におられるそうです。
危険地帯にされなかったところでは、10M位でしょうか土地のかさ上げのために土が運びこまれて積まれていました。土を固めてからでなければ家の建設は出来ないので、まだまだ家の建設、復興には時間がかかると思いました。それでもみなさんは前を向いて頑張っておられました。「来年も植えた桜を見に来てくださいね」と声をかけられますと、私たちが来ることが復興につながるのだという言葉が実感されました。
今回の桜の植樹、演奏旅行では桜並木の代表はじめスタッフの方々が総出でサポートしてくださいました。また東都観光の営業、添乗員、ガイドと一人で3役をしてサポートして下さった木村さんの被災地にかける思いを深く感じました。心から感謝いたします。
山室先生には児童の歌の補編曲をしていただきありがとうございました。鹿内先生、井澤先生、森本先生にも率先して参加していただきありがとうございました。
まだまだ復興には時間がかかるでしょう。私たちも少しでもお役に立つような活動を続けて行きたいと思います。
昨年の演奏会で桜並木ネットワークへ寄付したことがご縁となって、宮城県南三陸町に慰問演奏旅行に出かけました。
行ってみなければわからない、行ってみて初めてわかることを実感した訪問でした。「外から被災地に来てもらわないと復興は進まない」と言われてます。私たちの訪問も少しは役にたったのでしょうか。
朝7時30分に千歳船橋を貸し切りバスで出発。ハーツ&ヴォイセスの女性も加わって総勢33名となりました。
ホテルのロビーでは、リハーサルが出来ないとのことで、バスの中で発声練習、リハーサルも行いました。南三陸町に着きますと、海岸線の大地には家がなく土台だけになり、造成地にきたような感じでした。津波でなにもかも流されてしまったことがTVの映像で見るのとはちがって実感として迫ってくるものがありました。防災対策庁舎の鉄骨だけになった建物を見てさらに胸に迫るものがありました。小学校、中学校の校舎は町長さんが頑張って高台に建てていたので助かったそうです。
ホテル観洋は2階まで津波がきたそうですが、高台にあったので、いち早く営業を開始して、被災者の受け入れなど災害復旧の方々の宿泊に使われたそうです。現在は被災地を訪れる方々の観光ホテルとして営業されています。
午後4時から1時間にわたって、ホテルロビーでコンサートを開きました。東京から世田谷ライオンズクラブの方々が大勢応援にきてくださり、聴いてくださいました。

津波で流されてしまった戸倉小学校の門脇校長もお出でになりました。学校は流されたけれど、日ごろの防災訓練のおかげもあって児童は助かったそうです。その時4年生だった児童の作った「小さいけれど大きな幸せ」という歌を山室先生が混声合唱にしてくださり披露いたしました。
志津川で被災された佐藤さんと言われるご婦人が感動したと言って翌日私たちの植樹をしている場所に差し入れを持ってきて下さいました。一人でも感動してくださった方がいたと思うと来て良かったと思った次第です。又、登米市南方仮設住宅第一期自治会の宮川会長がお出でになり、次回は仮設住宅に来て歌ってほしいと頼まれました。
コンサートはけやきの他にハーツ&ヴォイセスも加わり混声合唱も聴いてもらいました。最後に「花は咲く」を合唱したところロビーにいた観光客の方々も集まってきて一緒の大合唱になりました。
コンサートの後は温泉に入り、合唱団の懇親を深めました。藤原実行委員長の軽妙なお話やら、カンツオーネ、ドリームドックスのカルテットなどもあり楽しいひと時を過ごしました。
9日は防災対策庁舎の前で被災され亡くなられた方々のご冥福を祈りました。次にさんさん商店街に行き、仮設テントの中で男声合唱を披露しました。さんさん商店街にお出でになった観光客の方も足をとめて聴いてくださり、なかには一緒に口ずさむ方達もおられました。終わりにハーツ&ヴォイセスも加わり「花は咲く」を合唱したところ、ここでも買い物客も集まってきての合唱となりました。
私たちもお買いものが地域の方々の生活の後押しにもなるとの思いもあり、みなさんお土産を沢山購入されました。
さんさん商店街でのコンサートの後は志津川というところで、桜の植樹をいたしました。海岸に近い山の全部に桜を植えて欲しいと言われる方がいて、桜並木ネットワークでは3年がかりで、全山桜を植える計画だそうです。その第1号として山への進入路に10本の植樹をいたしました。すぐ近くに海があります。下の大地では線路も流され、駅舎もプアラットホームだけになった景色が広がっています。危険地帯としてここには家が建てられなくなったそうです。志津川の部落は全滅だったそうです。桜の山の公園を造ることで、後世の人達に今回の津波の災害を伝えていこうという思いの深さを知りました。

昼食には波伝谷にある「慶明丸」という食堂にまいりました。慶明丸という漁船の浮輪がカナダに流れついて、カナダの方が日本に送って下さった実物を見せてもらいました。女将の三浦さんから、津波の来た状況、孫が流されながらも助かったお話なども伺いました。その後お店を開くまでの苦労などいろいろなお話を伺うことが出来ました。お店で働いている方々も皆さん被災された方々で、住む家はなく仮設住宅におられるそうです。
危険地帯にされなかったところでは、10M位でしょうか土地のかさ上げのために土が運びこまれて積まれていました。土を固めてからでなければ家の建設は出来ないので、まだまだ家の建設、復興には時間がかかると思いました。それでもみなさんは前を向いて頑張っておられました。「来年も植えた桜を見に来てくださいね」と声をかけられますと、私たちが来ることが復興につながるのだという言葉が実感されました。
今回の桜の植樹、演奏旅行では桜並木の代表はじめスタッフの方々が総出でサポートしてくださいました。また東都観光の営業、添乗員、ガイドと一人で3役をしてサポートして下さった木村さんの被災地にかける思いを深く感じました。心から感謝いたします。
山室先生には児童の歌の補編曲をしていただきありがとうございました。鹿内先生、井澤先生、森本先生にも率先して参加していただきありがとうございました。
まだまだ復興には時間がかかるでしょう。私たちも少しでもお役に立つような活動を続けて行きたいと思います。
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歌の力
昨夜(3月3日)ラディアータの藤井先生の送別会が祖師谷で行われた。藤井先生には8年の長きにわたってご指導を受けてきました。ラディアータの団員の発声が良くなり、音色が整ってきたのも藤井先生の持っておられる多彩なボイストレーニングの方法、そして個人個人の特性にあわせたユニークな発声のご指導によるものです。素人の私にも自分の発声が変わってきた。無理のない発声、伸びやかな声になってくることが実感出来るご指導でした。歌を歌うということはこういうことなのだといったことを教えられました。ありがとうございました。団としてのご指導は終わりですが、団員の希望により、パート別のボイストレーニングは引き続きお願い出来ることになり、安堵しています。
送別会の終わりに、森山直太郎の「さくら」を歌いたいと団員の方から要望があり、「さくら」を歌ったところ、隣りの部屋から手拍子があり、学生たちが飛び込んでまいりました。成城大学の合唱団の学生でした。一緒に「いざ立て戦人よ」の大合唱になり、「蔵王讃歌」「なぎさあゆめば」の学生たちの合唱に昔歌った団員も一緒に歌うなどして盛り上がりました。藤井委先生も良い思い出になったと喜んでおられました。おもわぬハプニングでしたが歌に結ばれる出会いに感動しました。歌の持つ力を感じたひと時でした。
「今日のひと時、お互いに元気で、歌声合わせるこの幸せ。またいつか会いましょう。またいつか会いましょう」阿部記
送別会の終わりに、森山直太郎の「さくら」を歌いたいと団員の方から要望があり、「さくら」を歌ったところ、隣りの部屋から手拍子があり、学生たちが飛び込んでまいりました。成城大学の合唱団の学生でした。一緒に「いざ立て戦人よ」の大合唱になり、「蔵王讃歌」「なぎさあゆめば」の学生たちの合唱に昔歌った団員も一緒に歌うなどして盛り上がりました。藤井委先生も良い思い出になったと喜んでおられました。おもわぬハプニングでしたが歌に結ばれる出会いに感動しました。歌の持つ力を感じたひと時でした。
「今日のひと時、お互いに元気で、歌声合わせるこの幸せ。またいつか会いましょう。またいつか会いましょう」阿部記